ぽんのよしなしごと

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「年上のお姉さんによしよしされたい」とは その2

その1では母性とその相手について書いた。A氏が母性を求めていることについてもはや疑問の余地はない。そこでその2では「母性を求める」とはどういうことか、について書く。

 

私はここ最近「嫁さんが欲しい。」とたびたび呟いている。これは老害にあーだこーだ言われた末の結論なのだが、私はこれと「年上のお姉さんによしよしされたい」にある共通点を発見した。そしてそれゆえに「年上のお姉さんによしよしされたい」を理解することができた。

ではその共通点とは何か。そのためにはまず「嫁さんが欲しい。」の真意を語る必要がある。

私にとって嫁さんは「人生の伴侶」である。これはいろいろな要素で言い表すことができるが、その中で最も大きな要素は「一生一緒にいる」ということだ。もちろん、男性一強であったりイエの影響があったりした昔とは違って離婚も当たり前の選択肢の一つにはなっているが、それはこの際問題ではない。私にとっては、結婚するなら「一生一緒にいても構わない」と思える相手とでなくてはならない。

そして私の思う「一生一緒にいる」ための条件は、「お互いがお互いを認め合うこと」だけであると思っている。相手のすべての要素を盲目的に受け入れろ、と言っているのではない。気に食わない要素は必ずあるだろうし、対立、喧嘩もするだろう。しかしそのうえで「あなたはこういう人だから」と言って受け入れる、そして受け入れてもらえればそれで十分なのだ。

一度「あいつ気に入らねー」となってしまったらおしまいである。負の感情は簡単には消えない。気に入らない面があってとしても受け入れ(諦めるとも言う)、やんわり注意し、注意された側もこれに対して気を荒げることなく受けいれる。そういう関係でないと長続きすることは不可能ではないか。

これは必ずしも相手が異性である必要はない。同性に対しても当てはまることである。これができる関係性が親友なのである。

以上より、「嫁さんが欲しい。」とは「自分が受け入れ、そして自分を受け入れてくれる異性が欲しい」ということである。

 

これを踏まえて両者の共通点を考えると、それは「相手が自分を受け入れてくれること」、つまり「承認欲求」であるという点に落ち着く。

これが人間が社会的生活を営む上で生じても全くおかしくない。つまり「年上のお姉さんによしよしされたい」というのは誰にでも起こりうることなのである。

一方で生活や周囲の人々に恵まれた人は決してこの感情を抱くことはないだろう。そして理解することもできないだろう。

しかしそこでこう言い放っている人たちに対して冷たい言葉を放ってはならない。

彼らが求めているのは他者との交流とその中で信頼を築くことなのだから。

 

 

A氏って頻繁に「年上のお姉さんによしよしされたい」って言ってるけど、リアルの生活大丈夫なのかな…